西日本唯一の私立歯科大学として1973年に開学し、昨年、創立50周年を迎え立派な「50周年記念講堂」が建てられました。
1階は学生食堂、2階はギャラリーと会議室、3階は全面ガラス張りの広いホワイエを備えた講堂となり、「50年の実り」を形にするデザインコンセプトで建築されたそうです。


 大学近辺も50年経つと随分変わり、田んぼだらけだったのが地下鉄の駅ができ、高速道路が通るようになると周りが一変しました。何十年ぶりかに大学を訪れると、地下鉄の駅を上った瞬間、浦島太郎状態になります。新しく大きな道路ができ、メインだった歯科大通りと言われた道もよく調べないと分からない状態です。大きく町が変わったためか、近隣のお店も殆ど様変わりしており、そんな中、以前からある店を2件程見つけました。
一つはもつ鍋の「万十屋」。今では立派な建物ですが40年前はボロボロ、だけど美味しいと評判で3千円もあれば飲んで食べることができたものです。もう一つは学生の味方、大衆食堂「かど市」。290円だった焼肉定食が今は600円になりましたが、当時と変わらぬ装いでなんだかホッコリします。


 大学の周りは完全に変わってしまい、当時の店も無くなりましたが、博多と言えば「屋台」「ラーメン」「玄界灘の新鮮な魚介類」「歓楽街」「夜の街中洲」「天神の親不孝通り(一時、親富孝通りに名前を変えたらしいですが、現在は親不孝通り)」です。バブルの頃はマリアストリートと呼ばれた親不孝通りの路地周辺に、大小20軒ものディスコが乱立して多くの学生が青春を謳歌しました。


 飲み会後の締めはやはりラーメン!学生時代はそれぞれ馴染みの店や屋台を持たれている方も多かったと思います。大阪から来て驚いたのは替玉、麺のゆがき方で、今では普通ですが、40年前の大阪ではどちらもあまり馴染みがありませんでした。当時替玉1玉30〜50円だったので、2〜3回は替玉して、その上、すりおろしニンニク、紅生姜入れ放題で、何人後輩がいても財布に優しい所でした。もう一つは麺のゆがき方。大阪ではお店任せだったのが、バリカタ、硬麺、普通など、ゆがき方を指示。殆どゆがいてないのに、「通はバリカタ」と博多の友が言うので時々挑戦しますが、やはり大阪者は普通か硬麺位がおいしいと未だに思います。
博多に行かれた際は締めのラーメンの麺の硬さを好みで食べてみてください。