1965年(57年前)、私は歯医者のいない村にボランティア活動ということで、大学から出張診療「無歯科医村診療」に参加しました。すべての村民を健診して問題ある歯はすべて抜歯しました。およそバケツいっぱい位の抜歯です。麻酔や抜歯の勉強には大変役立ちました。私はまだ学生でしたから当時の村民から「学生さん、歯を抜かれてしまって噛めない、食事ができない。」「何とかなりませんか?」と言われました。そのことを引率の教授にお話ししたら、「それはどこか歯科医院に行って歯を入れないとね。」という言葉に驚きました。これでは全く村民のためにはならず、ボランティア活動では無いのではと強く反発しました。私たちの仕事は「噛めない村民」を創るのではなく、「咬めて食事ができて楽しい生活」を願ってのボランティアのはずでした。その時私は「俺が60歳まで元気でいたら、無歯科医村で働く」と大きな啖呵をきったのでした。

歯学の真髄は咬合にあり

卒後1年の勤務を経て1968年福岡市で開業しました。1年で開業した理由は、厚生省(厚労省)の奨学生だったからです。卒後、父親に「厚生省で働く事になる。」と言ったら、父親から「お前は国家公務員になるのは絶対に不向きだ。」と反対されました。私の進路等に一度も口を出さなかったこの反対の言葉は、父親からの初めての一言でした。結局、奨学金返済のため福岡市の閉院された医院をお借りして診療を開始しました。開業14日目に、当時インディアナ大学で教鞭をとられていた保母須弥也先生の補綴研修会が、福岡で開催されるということで受講しました。その年の秋、保母先生は医歯薬出版から「オーラルリハビリテーション」を出版されました。今考えると、その時代の歯科界に〝リハビリテーション〟という言葉を紹介されたことは先を予測したとんでもない驚きでした。その本に先生から「歯学の真髄は咬合にあり」という言葉をサインしていただきました。

 それから約20年後、保母先生は「近代歯科はバンド冠から鋳造冠に変わり、全調節式咬合器を使用して高品質の材料を用いて咬合の回復を行ってきました。しかし患者さんが“食べること”には何にも変化しない・・・。だから補綴は国民にアピールしないのだ。」と悲嘆に暮れたことがありました。



嚥下は咀嚼の結果である

ところで近年は“食べること”について「摂食嚥下」という言葉が一般的でしたが、8年前に国際医療福祉大学大学院 竹内孝仁教授の講義「口腔機能の三役」を受講したことが、私にとっては“目から鱗”でした。 

 図1(P08)で示すように、食べ物が口に入ると、大きい・小さい・冷たい・熱い等々を脳が感じます。そして咀嚼が始まります。その咀嚼が「舌運動」を誘発し、「唾液の分泌」を誘発します。食物の粉砕と唾液によって食塊が形成されます。食塊はその人にとって硬さ・凝集性・付着性・潤滑性など、常に同じ性状で感じる嚥下閾値に達します。その感覚を脳が感じて嚥下運動開始を命じます。摂食嚥下学会でディスカッションされる嚥下反射ではありません。竹内教授によると「嚥下反射」という言葉は百科事典には無く、嚥下することは蠕動(ぜんどう)運動のスタートだと、はっきり述べていらっしゃいます。つまり「咀嚼運動が口腔機能の支配者である。」と述べていらっしゃいます。私の考えでは「舌運動」「唾液」等の機能は別々に取り扱うものではなく、「咀嚼」という1つの行為と連動の下で機能しているのではないかと思っています。竹内教授は「嚥下は咀嚼の結果である。」と結んでいらっしゃいます。

 このようなことを習い考えていると、現在沖縄県の歯科医師会会長をお務めの米須敦子先生から「摂食嚥下学会」は歯科界の発信であるから、「摂食・咀嚼・嚥下学会」が相応しいという意見がありました。私も同感です。その言葉が長すぎるのであれば、例えばECS(摂食・咀嚼・嚥下)等で「咀嚼」を入れるべきだと考えます。



保険治療で「しっかり噛める入れ歯」作製に本気で取り組む時代が到来

「咀嚼」は我々歯科医にとっては大変大きな意味があるワードです。2011年歯科衛生士向けの「医科歯科連携」に関する講演会にたまたま出席した折、演者の長崎リハビリテーション病院理事長 栗原正紀先生は①口腔ケアの徹底(歯周病と全身の関係) ②口腔機能(咀嚼・嚥下)の維持回復が大切だと述べられました。①の口腔ケアの徹底については現在かなり浸透してきて、看護師さんも口腔ケアを実践されるようになってきました。②の口腔機能の維持回復については、「入れ歯に大きな問題がある。」と述べられ、次の3点を上げられました。


  1. 最初からうまく使えない入れ歯
  2. 救急入院すると外される入れ歯
  3. 脳卒中で合わなくなる入れ歯

1. の最初からうまく使えない、とはどういうことなのでしょうか? これは大変大きなショックでした。数年前に大分県歯科医師会が報告した、介護支援専門員に行われた「口腔衛生管理アンケート調査」の結果、“口腔衛生管理”のアンケートにも係わらず「入れ歯が合っていない。」「噛めていない。」というのが介護の皆さんからの一番多い回答でした。確かに一般医療の一般的な疾病に関しては、ほとんど保険で実践していらっしゃるお医者さんから「入れ歯が噛めない。」と言われると、現在の我々は一言も反論できないという方は多いと思います。

 医科歯科連携をしっかり確立するためには、お医者さんからの要求である「入れ歯が噛めない。」ではなく、保険治療で「しっかり噛める入れ歯」作製に本気で取り組む時代が到来しているのだと思います。

このような社会的背景の中、これからの若い先生方に総義歯の作製の不安を解消すべく、約50年前に指導いただいたローリッツェン(A.G Lauritzen)先生のリマウント咬合調整テクニック(現在使用中の総義歯を咬合器上でバランスドオクルージョンを与える咬合調整)を45年以上コンビを組んでいる歯科技工士 松岡金次先生と約10年かけて普通の歯科医師であれば誰でも実践できる方法に簡略化しました。下記の模式図をご参照ください。



今回はこの咬合の模式図をご紹介し、
次回からその方法についてご紹介しようと準備しております。